万葉集には入間(推定現所沢市、入間市、 飯能市など十市三町)で歌われた和歌が残されています。萬葉の時代には東山道武蔵路と云う都と武蔵の国を結ぶ道があり、武蔵路から奥武蔵に向かう道が萬葉に歌われた入間路、今ではお茶の香り漂うお茶どころです。この歌とともに萬葉の昔の入間の物語を著しました。
所沢市久米・国分寺市泉町に古代の道「東山道むさし道」の一部が発掘されています。この道は武蔵国府と都を結ぶ古代の国道。多くの旅人や物資が行き交いにぎわっていたそうです。遣唐使によって伝えられたお茶は、後にこの道を通り武蔵の国にも運ばれました。むさし道から奥武蔵に向かうと、そこは万葉集東歌に詠われた入間道。今日ではお茶の香り漂う武蔵野の特産品狭山茶の故郷です。
当時、入間は現在の所沢市、入間市、飯能市、川越市など推定十市三町におよぶ広大な武蔵一の大国で、武勇に優れた大豪族物部氏が治めていました。当時も争乱が多く国家防備のため多くの男達が防人として徴兵されました。万葉集防人歌には夫の無事を願い妻が詠った 歌が多く残されています。この時代は旅も命がけ男達は後ろ髪を引かれる思いでこの道を通りと遠き筑紫えと旅立ったことでしょう。悲喜こもごもに人々が行き来した入間道は後に鎌倉街道になり、今でも埼玉、東京の西部地区で史跡街道や一般道として受け継がれ多くの人が利用しています。
「入間道の大家が原のいわゐづらひかばぬるぬる吾にな絶えそね」万葉集 巻十四の三三七八
「草枕旅行く背なが丸寝せば家なる我はひも解かず寝む」万葉集 防人歌巻二〇の四四一六